どうして、おばさんになると恥ずかしくなくなるのだろう?
こんにちは
今日の本はこちらです
酒井順子 著 無恥の恥(むちのち)
『文庫化記念対談 ゲスト小林聡美さん』より
おばさんたちは
どうして平気で
人に話しかけるのだろう?
死後は、全て、他人の手に委ねられる。恥の感覚が薄くなるのは、人に委ねる練習だから
<今日の言葉>
身内の死に際していつも思うのは、人が死んでしまったら「見られる」ことしかできなくなってしまう、ということ。自分の身体も死に顔も皆から見られ、所持品も全部人に処分してもらうしかない。そう思うと、「委ねる」という姿勢が年をとるにつれ大切になっていくのかもしれないなって思います。
(文庫化記念対談 ゲスト小林聡美さん)
お葬式に出席した際、「顔、見てやってください」と声をかけられます
最近は、エンバーミング技術などで、美しく整えられてますね
寝ているようで、昭和の頃とは、格段の差があります
しかし、著者は、こう疑問を投げかけます
『◯◯さんに会いたいと思うんです』と家族が言ったところで、
実際は、自分は、◯◯さんのこと嫌いで見られたくもないと生前思っていたら、どうなるんだろう?
考えたこともありませんでした
確かに、自分はもうわからないとはいえ、死に顔、見られたくないなぁ(笑)
でも、見られちゃうのよね
さらに故人の思い出話は、訂正の余地もなく語られ、所持品も全て見られてしまう・・とまで
きゃー恥ずかしい!
そこには、自分では、もうどうすることもできない、ただひたすら『見られる側』になってしまったという現実あるのみ
改めて、人が死ぬということは、自分が今まで隠していたかったことが、全て詳らかになることなんだなぁと気付かされました
でも、まずはその前に、介護が必要になるかもしれませんけどね
ほんと、人って、誰かの手を借りなければ生きていけないんですねぇ(はぁ〜)
つまり、著者の言うとおり、若い者に自分を『委ねる』ことを、徐々に受け入れていかざるを得なくなるということ
シミもシワも「まあ仕方がない」と受け入れられるようになったのも
若い頃には、躊躇した、人に道が聞けるようになったのも
『「これは死への助走なのではないか」』と著者
確かに、恥ずかしがっていたら、いつまで経っても他人に委ねられませんものね
まだまだ元気なOVER50
仕事でも家事でも、人に任せられないと言う方も多いと思います
でも、そろそろ優しく見守る側にシフトしてもいいのかもしれません
どうせ自分の死後のあれこれは、人に任せることになるのなら、
今から、感謝の念を持って、人に委ねる練習、始めたいと思います
そして、私の思い出話、訂正の余地も必要がないような、いい生き方したいなと思います
人に任せられないと
化けて出てこなきゃならないかも・・
怖がられるのは嫌だな
本について
「マザコン」が罵倒語だった時代ははるか遠く、
(文藝春秋BOOKS公式サイトより 一部抜粋)
「僕がいちばん感謝したい人はお母さんです!」と公衆の面前で母親をハグする若者たち。
昔の親は、謙遜のあまりわが子を「豚児」よばわりしていたが、
今ではSNSで「ウチの王子」「姫」と堂々と愛でるように……。
古今東西、移ろいゆく「恥の感覚」を名エッセイストが読み解く抱腹絶倒・共感必至の一冊。
日本人の恥感覚が
変わってきたという著者
恥ずかしいと思うことが
こんなにあったかとびっくりです
中高年のSNS
ネットだと、羞恥心が
なくなるとか
気をつけようと思います
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