どうして人は、年を重ねると、自分史のようなものが書きたくなるんだろう?
こんにちは
今日の本はこちらです
村井 理子著 本を読んだら散歩に行こう
『自分の言葉で書き残すことへの執着』より
50代になるとなぜ人は
書きたくなるのでしょう?
私が生きた証と100年先の誰かの笑顔のため、今日も書くのだ
<今日の言葉>
(死という勝手な存在で)必ず終了させられるのであれば、その前にすべて残してやろうと思う。私の気持ちのすべてを、私が生きた証拠のすべてを、こと細かに記録し、残してやろうじゃないか。楽しいことも、悲しいことも、すべて書き切るという目標があるからこそ、書くことができるのだと気づいた。
(自分の言葉で書き残すことへの執着)
最近、アラカン世代のブログを読むと、「なぜブログを書くのか」を考える記事を見かけます
私も50代から始めたブログ
もともと学生時代から、文章を書く人になりたいなぁと思ってました
しかし、現実は子育てにどっぷりハマって幾星霜
子どもの手が離れて、再び書き始め、今に至ります
でも、昔から
自分史を書く人
結構いましたよね?
なんで、人は、書きたくなるのでしょう?(特にアラカン以上)
そんな時、<今日の言葉>に出会いました。
何も残さなければ、自分という存在は、そのうち全て、なくなってしまうから、書いて残しておきたいと思うようです。
確かに文豪と呼べる人は永遠の命をもらったようなものですよね
実に、書きたいという思いに、生命力の強さを感じます(笑)
書きたい、残したい
という気持ちが
生きる力につながるのですね
文章だけでなく、絵画でも音楽、レシピなども同じ
等身大の自分を残しておくことで、将来、ごく身近な誰かが手に取って、
「おんなじこと悩んでるな〜」
なんて、笑って、明日への活力にでもなってくれたらいいですよね
私自身、
100年先の誰かを笑わせられたら、こりゃ愉快だなぁ
と妄想しながら、『すべて書き切る』ことができたら本望です。
そんなことに気づかせ、生きる力をくれたこの本に感謝です
100年後にも
通じるといいんですけど・・
価値観変わっているだろうな
本について
実兄の突然死をめぐる『兄の終い』、認知症の義母を描く『全員悪人』、壊れてしまった実家の家族について触れた『家族』。大反響のエッセイを連発する、人気翻訳家の村井理子さん。認知症が進行する義母の介護、双子の息子たちの高校受験、積み重なりゆく仕事、長引くコロナ禍……ハプニング続きの日々のなかで、愛犬のラブラドール、ハリーを横に開くのは。読書家としても知られる著者の読書案内を兼ねた濃厚エピソード満載のエッセイ集。
(集英社 公式サイトより)
コロナ禍で読んだ読書の話や
50代の著者の
壮絶な家族のお話も
エッセイからの本の紹介
本のネタバレは一切ないので
安心して読んでくださいね
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